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<   2006年 05月 ( 6 )   > この月の画像一覧

装丁楽会だより12-鳥をもチーフにした装丁2点

●装丁楽会だより…8に、鳥をモチーフにした装丁は流行っていたのだろうか?という話を描きましたが、わが家の書庫の移動をやっていたら2点ほど出てきたので画像を掲載します。
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●尾崎紅葉『草茂美地』(冨山房、明治37年再版)。これはモズの絵だそうです。カラスの絵だだろうと思っていたが、玊睛(きゅうせい)の店長堀口さんから「これはモズの速贄のですよ」と教えられた。その場では「な〜るほど」と首肯いて、帰宅して辞書を引いて見たら、「モズが秋に虫などを捕えて木の枝に貫いておくもの。翌春、他の鳥の餌に供されてしまうとしていう。」(広辞苑)とあった。「垣根にはモズの速贄立ててけり」(散木奇歌集)のように使うらしい。
 
●この絵は一体誰の絵なのかはっきりとモノグラム(サイン)があるが、情けなや、これが読めない。本文中には松洲、半古、清方、米齋、桂舟などが挿絵を寄せているので、この中の誰かではないか、と思って改めて眺めて見たが、わからない。鏑木清方や佐藤松洲、竹内桂舟、梶田半古のサインはすぐに分るので、この中にはいないようだ。これだけの画家が挿絵を描いているのだから、表紙の装画はかなり有名な画家に違いないのだが、残念!わかりません。

●アールヌーボー風の扉の絵も見事だ。この絵には特徴のあるサインが入っているので、佐藤松洲が描いたのはすぐに分ったが、この人のサインはなぜこんな形をしているのかが今だなぞなのである。何をもじったのか、何の略なのか誰か謎を解いてくれませんか。左のバッタの足のところにオレンジ色で○に×印のようなサインがあります。
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●この本のタイトルも「草茂美地」「草もみぢ」「草紅葉」と頁によって書きかたが違っている。今では考えられないことだが、おおらかでいいなあ、と思う。
 
●もう一冊は、今井柏浦『明治一萬句』(博文館、明治39年)。こちらの鳥はカラスに間違いないと思う。右隅に「羽」のサインがあるが、面目ない、こちらのサインも誰のものかわかりません。この時代の画家で「羽」の字を名前の一字に使う人が全く浮かばない。
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●黒田清輝などがアールヌーボー様式を持ち帰ったのが、1900年(明治33年)だから、これ等の本が出た頃、鳥や花がモチーフとしてもてはやされていたのと関連があるだろうと結びつけるのは、さほど強引な結びつけではないようだ。
by oh-shinju | 2006-05-23 16:55
それまでの、青楓の積もり積もったうっ積した感情が爆発したのであろうが、三重吉と青楓が別れるきっかけになったのは、『八の馬鹿』である。
装丁楽会だより11-津田青楓の装丁『三重吉全集 八の馬鹿』_b0072303_15363453.jpg

大正5年4月3日の青楓宛の手紙には「本日、第十一巻の表紙原画拝見。個々の畫は一々面白い、ご苦心もお察するが、全體としてウチワを並べたのは悪趣味であるまいか。圖案の苦心が餘計なところへソレたやうに思ふ。ウチワでなくともよいだらうと思ふ。御再考を願ふわけに行くまいか。あのまゝの畫で結構だから、リンカクのウチワだけよして、他のリンカクの中へ納めてもらいひたいと思ふ。これは兄の畫そのものと私が左右するのとは少しちがふと思ふから、敢えて懇願して見る。」と、前に喧嘩になって、これ以上は口出ししないと言ったのを棚に上げて、また注文をつけている。
 
さらに続けて「その畫を配列する上の趣向を好かんといふのである。中の畫をノケてウチワの配列だけでいふと、中型の浴衣とか、紅葉時代の本の表紙とかいふやうなオツのカランだイヤミがあるとは思はないか。憲法の規定により、絶対に書き直さないとお言ひならぜひもない。泣き泣き本にしてもよいけれど。又一法として、もし君が許すなら、今度の一巻に限り、第畫伯鈴木三重吉氏に裝釘させてくれないか。」と、三重吉の言葉は、容赦なく青楓の感情をさかなでしているかのような嫌みな言葉を突きつけている。残念ながら三重吉に、泣き泣き本にしてもよいといわれた原画は見たことがない。『装丁図案集』 (津田青楓、芸艸堂、昭49年)などに掲載されていれば楽しいのだが、不勉強で、この本も見ていない。

この最後の言葉に青楓の堪忍袋の緒が切れたのであろう。どのような手紙を出したのかは未調査であるが、青楓の怒りの手紙に三重吉が送った手紙には「兄のはがきは全作集についてテイよく私と交渉を斷ったものと認める。アトの二冊も畫いてくれないといふなら、畫いていらない。たゞこれまでの二人の交誼に對して次のことを申し上げておく。『もう僕の畫にも飽きたゞらうから』といふのは何のことか。私はあのうちわの形を好かんから、禮譲を以て兄に相談したのである。君の畫全體に飽きたとだれが言ったか。」と、少々たじろいでいるようでもある。
 
「今日のハガキは書きすぎてゐると思ふ。乞反省。」とあるが、これ以上のつきあいはなくなってしまい、青楓装丁による『三重吉全作集』は第十巻『櫛』(写真下)が最後の装丁になってしまった。そして『八の馬鹿』(写真上)は高野正哉が装丁をした。
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この頃のことを青楓は「鈴木三重吉さんの本は小型で全部十三冊でしたが、随分凝ったものでした。第一寒冷紗を使ったのも珍しかったし、蝋をとかして?纈を再現してみたり、あれこれと面白いのが半分で頭を使った。そんなこととは知らない三重吉さんは、これまた別の面での凝り性で、しかも神経質ときてゐるからn何のかのと文句をつけてつっかかってきた。私の凝ってゐる点と彼の希望とは裏腹で、平行線をたどってゐる訳でした。だから売り言葉に買ひ言葉で、いつも喧嘩腰で両方が腹を立ててゐました。」(津田青楓『春秋九十五年』(求龍堂、昭和49年)と、振り返っている。
by oh-shinju | 2006-05-17 18:38
●装丁楽会だより10-津田青楓の装丁『三重吉全集 桑の実』

●「桑の実」の表紙
『桑の実』の表紙発注のたがみには「あの小説は五月六月頃を背景に使ってあるのだから、植物を図案するならばその頃の植物でないと拙であると思ふ。ホタル草とか苺の花とか、その他の雑草式のものは如何。右は只内容上の注意までに申し上げたのみ。勿論萬事御任意。」とあり、ここまでは著者の親切なアドバイスであるかのようである。
装丁楽会だより10-津田青楓の装丁『三重吉全集 桑の実』_b0072303_20464341.jpg



大正4年12月8日付け三重吉から青楓にあてた手紙には、表紙の下絵を見ての感想が書かれているのだが、くどくどと細かくうるさい。その手紙とは「『桑の實』の表紙此間拝見。オレは絶對服従だから津田氏と相談してよきやうに計らつてくれと林に返事した。あの表紙はどうかな。地のあのクスんだ黄色と青貝との調和はどうか知らん。今度の金魚の地色見たいなものならよくうつるがな。葉の色も濁ってゐてわしは好かんよ。一たいに今度の畫はイヤにかちかちしてゐるね。葉の中の黒の點々もわざとらしい。葉の線が固い、實も固いようだ。」と、絶対服従といいながらも色から形から隅から隅までケチをつけている。

●慇懃無礼な三重吉
さらに続けて「以上はたゞ我輩の盲目評で、何の価値もない批評だが、一つ君の不注意は、あの銀の花へ貝を入れるといふ指定だが、あの畫では本に折目がつくから一々花へ貝が這入らないいよ。」と、遜りながらも命令調で、こんなのを慇懃無礼というのだろう。私が青楓だったらその場でこの仕事をキャンセルしてしまうだろう。
 
最後には、「そこで、貝の入らない花はどういう風にするか指定してやらないといけまい。いつか鏡花の表紙に使ったアヤメね、あゝいう模様だったらいいね。」と、暗に書き直しをほのめかしている。

●三重吉のサディズ厶もここまで来るといじょうだ!
再度描きあがってきた絵についても「今度畫いてくれた繪よりか櫛の表紙の方が餘つ程よいと思ふがどうだらう。実は僕の全作中一等よい作だから表紙もよいのにしたい。それで、ゼイタクを並べるやうで相すまないが櫛の表紙を『桑の実』の表紙にしてくれないか。……伊上でなく、大倉半兵衛(黒血の表紙をやった男)に彫らせる。(承諾なら私へ返事はいらない)」と彫師の伊上凡骨までリストラさせてしまう。


さらにじくじくとクレームが続き「イチゴの畫は花も實も葉も一種の輕い快い感じに統一されてゐて面白い。畫としては面白いが表紙としては(殊にこれまでのものと比して)多少間に合わせの感があるね。併し兄があれをよすのが惜しいと思ふならアトの本に使ってもよいと思ふ。」と、しまいには、ダメな絵だがアトの本に使ってやってもいい、といっている。三重吉にとってはどんなにか大切な本であろうとも、なんて惻隠の情の奴だ。他人事ながら腹が立つ。
by oh-shinju | 2006-05-12 20:46
装丁楽会だより9-津田青楓の装丁『三重吉全集 八の馬鹿』

全13巻のうち3巻『三重吉全集 八の馬鹿』(写真上)、『三重吉全集 小鳥の巣』(上下巻、写真下)は、津田青風の装丁ではなく高野正哉が装丁をやることのなってしまった。写真は『三重吉全集 八の馬鹿』。
装丁楽会だより9-津田青楓の装丁『三重吉全集 八の馬鹿』_b0072303_1463960.jpg


●あんなに仲のいい二人だったのに
津田青楓『寅三と三重吉』(萬葉出版社、昭和22年)を読むと、明治45年4月19日から大正5年7月30日までに三重吉から青楓に当てられた手紙53通が公開されている。そしてその時々に感じたことなどが、手紙の後に記されている。ちょうど『三重吉全作集』に取りかかった頃の二人の関係がよくわかり興味深く読んだ。第一巻を装丁した頃は、お互いのその出来映えを讚え、楽しそうに見えた。
 
●生まれ故郷の京都へ引っ越す
大正4年3月26日の三重吉からの手紙に、「もうちやんと落ちついたか。大変不便はところの由。併しノンキでいゝものであらう。羨ましいね」とあり、この頃、青楓は生まれ故郷の京都に引越をしたのがわかる。
 
この手紙には、第2巻『三重吉全作集 赤い鳥』(写真装丁楽会だより7に掲載)の表紙の校正のやり取りがあり「小生は、門外漢ながらあの岩が好かんよ。花と鳥と筆致上の調和がないやうに思ふ。また、あれを、本の實際の大きさに折って見ると、裾の方へ片まつて、ごぢやごぢゃする。岩は裏面へ廻るのだから、裏面は岩がなくとも淋しくはないし、裏面の岩は表面を一所にしての全體を引き立たせるにも役に立つまい。取ったほうがあつさりしやせんか。そこで念のため、Aのやうに草も岩もないのを摺らせてみた。」と、細かい注文を出し、揚げ句の果ては、原画を見視して、岩を取った校正を出している。結果としては前日掲載の写真のように岩の無い装画が使われていた。

仏蘭西に3年間留学し、二科会創立のメンバーでンもある青楓にとっては、けっして快い事ではなかったはずである。

●第四巻『女』(写真-装丁楽会だより8に掲載)の表紙に関しても
大正4年5月4日の青楓宛の手紙には、「第四巻の表紙をその内畫いてくれないか。兄もいろいろ忙しくて氣の毒だが何分たのむ。あの櫻の模様は、白地へでもあの緑がゝつた色でも大變いゝが、どうも櫻といふものが、いろんな古い聯想があるのでオレの小説にソグハないので困る。バカなことをいふとお笑ひかも知れんが、繪としての單獨の価値は私にだってわかるが、表紙として使ふのに一寸困る。純日本式で和裝本の感じがする。あんな具合の模様を白い甲斐絹へ銀でおくと高尚でいゝが、櫻以外の何かにしてくれまいか。……第四巻は『女と赤い鳥』の『女』を巻頭として、『女』といふ本にする。それであの小説だから、表紙畫は西洋くさいものがよい。こってりしたものでもよい。あっさりでもよい。何分返事をまつ」と、表紙絵の描き直しを要請している。
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by oh-shinju | 2006-05-09 15:06
装丁楽会だより9-津田青楓の装丁『三重吉全集 櫛』

●鳥をモチーフにした装丁は流行?
津田青風の装丁の中には、モチーフとして鳥がよく使われているが、杉浦非水装丁、小杉天外『七色珊瑚』(写真上)の表紙にもインコが描かれている。調べたわけではないが、この時代の流行でもあったのだろう。装丁楽会だより8-津田青楓の装丁『三重吉全集 櫛』_b0072303_19493372.jpg

●青楓と三重吉の対立
鈴木三重吉は、かなりの潔癖症であったらしく、共に漱石門下生である内田百閒と神宮外苑を散歩していたときに、「百閒が吸っていたタバコをポイと道路に捨てると、三重吉が顔を赤くして怒り出した。『そりゃ、いかんよ。いけないと思いませんか!』しまいには『拾いなさい』とまで命じる。あまりの剣幕に後輩の百閒はしぶしぶ従った。」(皿木嘉久『大正時代を訪ねてみた』産経新聞社、2002年)というようなことがあったようで、百閒の随筆にこの記載があるようだ。

青楓が『三重吉全作集』の装丁をしたときも、三重吉は細かい注文を出したようだが、青風もしたたかで、「三重吉が『西洋くさいものを』と注文した全作集の第四巻『女』(大正4年7月、写真中央)の表紙画に青楓がアヤメを描いたころから、両者の対立がめだってきた。」(槌田満文「コンビの本8」日本古書通信、平成元年)ようだ。同様の内容が津田青楓『寅彦と三重吉』(萬葉出版社、昭和22年)にも記されているが、むしろこちらが元本のようである。
 
●喧嘩別れ
「三重吉君があまり細かいことをくどくどと文句を云ひ、ぐちをこぼし、よろこんだり悲しんだりして、こちらも七面倒くさくなってきた。画家は自分の仕事に対し誰からも喙を出され度くない、外からいろいろ云われれば仕事の純粋性はなくなる。私は装釘が三重吉君の小説の内容に合ってゐるか、どうかと云ふことよりもさきに、芸術的独創性に富んでゐるかどうかと云ふことが重要だった。だから最後にはどちらも自分勝手をつっ張って喧嘩わかれとなってしまった。」(前掲)と、二人とも自己の主張を譲らなかったようだ。

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●青楓装丁の『三重吉全作集』は第十巻『櫛』まで
青楓の装丁第二作となる鈴木三重吉『きりの雨』(春陽堂、大正2年)からはじまった、二人のコンビによる本づくりは『三重吉全作集 第十巻 櫛』(写真下)で終止符を打つことになり、絶交状態になってしまった。

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by oh-shinju | 2006-05-02 20:25
津田青楓・装画、伊上凡骨・木版、背字・夏目漱石、『三重吉全集 赤い鳥』’春陽堂、大正4年)

●装丁家を信頼していた漱石はさすがに大物
津田青楓の初めて手がけた装丁は、漱石門下生の森田草平『十字路』(春陽堂、大正元年)。
第2作は、鈴木三重吉『きりの雨』(春陽堂、大正2年)。その後に、夏目漱石『道草』(岩波書店、大正4年)。漱石が津田青楓に装丁を依頼したことについて、金子量重は「漱石はまるで青楓の腕前を試すかのように、草平、三重吉と二人の弟子の本が完成した後に、その著『道草』(大正四年、岩波書店)の装幀を依頼している。」(『銀花』40号)と書いている。青楓は全面に大胆に牡丹の花を配し、インコを2羽描いて、鮮やかで華やかな装丁を試みた。
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漱石は「『まかした以上相手を信頼する』というのが先生の信条だった」(津田青楓「日本古書通信』1963年)ようで、青楓は「非常に気が楽だった」(前掲)と回想している。

●三重吉とは、装丁をめぐるトラブルが
鈴木三重吉については「三重吉君は中々神経質で私の装幀の図案にいろいろ文句をつけて小言を言ってくる、こっちの凝つてゐる所は全然わからなくて文句をいうふのだから、こつちもしまいには腹を立てゝ喧嘩になつたこともあつた。尤もこつちは小説の内容なんか全然読まないのだ、挿画なら内容を知らなければかけないが、装幀なんかそんあ内容にかまはずやつてしまつた。しかし三重吉君にすれば多少でも内容気分が現はれてゐるものにしてほしい希望があったかも知れない。何しろ当時私は非常に忙しく、装幀なんかは内職稼ぎのつもりでやつてゐたのだから余りあれこれ文句をつけられると、こつちも云い度いことを云いたくなる。」と、三重吉と青楓の間には多少のいざこざがあったようだ。

●鳥をモチーフにしているのは? 
『三重吉全作集』の装丁者が13冊のうち10冊だけが青楓の装丁であるのは、途中でトラブルがあったのかも知れない。写真下『赤い鳥』にも『道草』にも鳥が描かれているのは興味深い。生家が「去風流」生け花を代々教える西川家であることから、花の絵が多いのは首肯けるが、アールヌーボーの画家たちが好んで雉を描いたが、そんな影響があったのだろうか。
 
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*「退屈男」さん、いつもコメント、ご指導ありがとう。助かりました。お蔭で「蔵書票楽会」「造本探検隊」にリンクを張ることが出来ました。
by oh-shinju | 2006-05-01 19:22