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装丁楽会だより7-津田清楓の装丁『三重吉全集』

●鈴木三重吉についておさらいすると、1882年〜1936年広島市生まれ。 京都の第三高等学校を経て東京帝国大学英文科に進む。在学中の1905(明治38)年、神経衰弱と胃病に苦しめられ、療養のため瀬戸内の能美島を訪た。そこでの体験をもとに短編小説『千鳥』を書き上げる。
 
師と仰ぐ夏目漱石の推薦で、小説「千鳥」が高浜虚子の1906(明治39)年「ホトトギス」五月号に掲載され、これが小説家としてのデビュー作となる。「千鳥は傑作である。かういふ風にかいたものは普通の小説家に到底望めない」と夏目漱石は激励した。

中学教師を務める傍ら山県郡加計町を舞台とした『山彦』など数々の小説を執筆し、漱石門下生として活躍を続け小説家としての評価をあげたが、行き詰まりを感じ1915年以降小説の筆を折る。

三重吉は全財産を投じて『三重吉全作集』の制作をするが、思うに任せず多大な負債を抱えることになる。その穴を埋めるために1917(大正6)年『湖水の女』から始まる全20巻を出版する。『世界童話集』を刊行したことが、「赤い鳥」創刊への足がかりとなったと三重吉は言う(『現代日本文学全集(33)』1928)。
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●写真上は清水良雄装丁、鈴木三重吉編『馬鹿の小猿』(『世界童話集第十篇、春陽堂、大正14年6月15版)。この本はよく売れたようで、初版発行が大正7年5月だから、毎年2回ほどづつ増刷を繰り返した勘定になる。
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 1916年、長女すずのために童話を書き始めたのをきっかけに、同年の童話集「湖水の女」ほか次々に子どものための作品を発表。児童文学に自らの進むべき道を見いだし1918(大正7)年には森鴎外(1862-1922)らの賛同を得て、当時を代表する作家を執筆陣にそろえた画期的な童話・童謡誌「赤い鳥」を創刊、日本における児童の情操教育に多大な影響を与える。1936(昭和11)年、三重吉54歳での死去とともに「赤い鳥」も終刊。

●写真下は、鈴木三重吉  『女』(三重吉全作集第四巻、春陽堂、大正6年10月第三版)
装画・津田清楓、背字・夏目漱石、木版・伊上凡骨。
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by oh-shinju | 2006-04-25 17:36