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装丁談義


by oh-shinju
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これだけの腕があるなら

●田中貢太郎『朱唇』(世界社、昭和23年、写真中央)もやはり山本武夫の装丁だが、新聞連載中の「おせん」に附した雪岱の絵(写真上)によく似ている。具体的にどこが似ているのか? と、問われると、それは構図を決めるアングルや、笠の間からのぞき見るように人物の顔が見えることなど。

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これだけの腕があるなら_b0072303_1644511.jpg


わたしは雪岱の絵を、のぞき見の絵だと思っている。それだからこそ躍動感のある自然な動作の被写体?を捕えることが出来たのではないかと思っている。

せっかくの装丁のチャンスを、こんなに雪岱風に描いてしまっては、世間の評価はえられないだろうに。好意的に考えれば、著者や版元から雪岱風の絵を描くようにとの注文を受けていたのかも知れない。
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邦枝完二『花井とお梅』(目白書院、昭和24年)も一瞬、雪岱ではないかと思って手に取った。よく見ると顔が今一つ感情が表現されていない、つまり締まりがない。元絵が何なのかは分らないが、これも雪岱風であり、当時、雪岱が人気があったのか、はたまた、邦枝完二が雪岱とのよき時代を忘れられなかったのか。『花井とお梅』の装丁は高澤圭一。
# by oh-shinju | 2006-06-29 16:01

小村雪岱は大好きだが

●泉鏡花『日本橋』(千草閣、大正3年)や、邦枝完二『おせん』(新小説社 、昭9年)、枝完二『お伝情史』(新日本社、昭和11年)などの見事な装丁で知られる小村雪岱は、竹久夢二と並び称される大正・昭和初期の代表的装丁家だ。

小村雪岱は大好きだが_b0072303_1291238.jpg

 
邦枝完二『色娘おせん』(隆文堂、昭和23年、写真右)ときたら、装丁は当然雪岱だと思うでしょう。しかし、雪岱は昭和15年に亡くなっている。構図も写真下の邦枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)とよく似ている。

三及社版の『おせん』も雪岱亡き後の昭和21年発行だが、昭和8年9月〜12月に朝日新聞に連載された時の挿絵を流用しているので、雪岱の挿絵に間違いない。誰が作ったのか、新聞に掲載されたイラストを始めからこのように描いたのではないかと思われるくらい見事にコラージュしている。

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よく見ると隆文堂版の「おせん」はどことなくマンガチックである。装画家の名前を探して見ると、山本武夫とある。そうと知ればよく似ているのも首肯ける。山本は、雪岱の唯一の弟子なのである。それにしても節操がない感じがする。こんなことをすると山本の評価が下がる。

田中貢太郎『朱唇』(世界社、昭和23年)もやはり山本武夫の装丁だが、雪岱の絵によく似ている。
# by oh-shinju | 2006-06-29 01:57

東京パックをみつけた

●神保町「古書モール」を覗いて見たら、まだ値付けされていないぼろぼろの雑誌が床に放り出されていた。店主がその場で値段を付けたが「この本はぼろでも価値があるんだよね」と独言なのか、つぶやきなのか「1000円かな」といった。

●表表紙と裏表紙が背のところで切れて、ばらばらだし、全体に汚く、1000円では買う気はしなかったが、2冊のうち1冊だけを購入し、帰宅してから和紙を使って修復した。
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●表紙の絵は岡本唐貴(おかもと とうき)
表紙の下の部分には、誤植で、「岡本康貴」となっているのが購入するきっかけになった。岡本は1903-1986 1903年(明治36)、岡山県倉敷に生まれる。1922(大正11)、東京美術学校彫刻科塑像部に入学、翌年中退。1924年(大正13)、前衛集団アクションに参加、三科造形美術協会の結成に参加。1929年(昭和4)、日本プロレタリア美術家同盟(PP)の結成とともに中央委員となる。

●村山知義らとともに大正末から昭和初期にかけて前衛的な美術運動を標榜した画家で、この「東京パック」東京パック社、昭和5年10月)(写真上)の表紙は村山、柳瀬正夢同様に、思想的にもGEORGE GROSZの影響を強く受けているのがわかる。表紙絵の説明には「飢餓の弾丸 見よ世界経済恐慌に度を失ったプチブルヂョアが産業合理化銃から打ち出す大衆飢餓の弾丸!!」とある。

●GEORGE GROSZの作品(写真下)「“泳げる者は泳げ、弱すぎる者は沈め”(シラー)1922」(村山知義『グロッス その時代・人・芸術』(八月書房、1949年12月初版)が直接に影響を与えた絵かどうかはわからないが、考え方といい、絵の構成といい、かなり近いように思える。
# by oh-shinju | 2006-06-17 12:36
●ミズノ・プリンティング・ミュージアム見学
ミズノプリテック社長・水野雅生さんの案内で、ケルムスコットプレス完本全巻、42行聖書、百万等陀羅尼などを見せてもらった。
ガラスケースから『チョーサー著作集』『ダヴス聖書』『ダンテ著作集』などを取り出して見せてくれたのには、さすがに体が震えてしまいました。
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●写真左は、ダヴス・プレス版『欽定英訳聖書』。写真右は『チョーサー著作集』(いずれもミズノ・プリンティング・ミュージアムにて撮影)。あこがれの恋人に出会ったかのようで、手足はがたがた、頭は真っ白になってしまいました。
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# by oh-shinju | 2006-06-05 23:18
装丁楽会だより12-鳥をもチーフにした装丁2点

●装丁楽会だより…8に、鳥をモチーフにした装丁は流行っていたのだろうか?という話を描きましたが、わが家の書庫の移動をやっていたら2点ほど出てきたので画像を掲載します。
装丁楽会だより12-鳥をもチーフにした装丁2点_b0072303_16383876.jpg


●尾崎紅葉『草茂美地』(冨山房、明治37年再版)。これはモズの絵だそうです。カラスの絵だだろうと思っていたが、玊睛(きゅうせい)の店長堀口さんから「これはモズの速贄のですよ」と教えられた。その場では「な〜るほど」と首肯いて、帰宅して辞書を引いて見たら、「モズが秋に虫などを捕えて木の枝に貫いておくもの。翌春、他の鳥の餌に供されてしまうとしていう。」(広辞苑)とあった。「垣根にはモズの速贄立ててけり」(散木奇歌集)のように使うらしい。
 
●この絵は一体誰の絵なのかはっきりとモノグラム(サイン)があるが、情けなや、これが読めない。本文中には松洲、半古、清方、米齋、桂舟などが挿絵を寄せているので、この中の誰かではないか、と思って改めて眺めて見たが、わからない。鏑木清方や佐藤松洲、竹内桂舟、梶田半古のサインはすぐに分るので、この中にはいないようだ。これだけの画家が挿絵を描いているのだから、表紙の装画はかなり有名な画家に違いないのだが、残念!わかりません。

●アールヌーボー風の扉の絵も見事だ。この絵には特徴のあるサインが入っているので、佐藤松洲が描いたのはすぐに分ったが、この人のサインはなぜこんな形をしているのかが今だなぞなのである。何をもじったのか、何の略なのか誰か謎を解いてくれませんか。左のバッタの足のところにオレンジ色で○に×印のようなサインがあります。
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●この本のタイトルも「草茂美地」「草もみぢ」「草紅葉」と頁によって書きかたが違っている。今では考えられないことだが、おおらかでいいなあ、と思う。
 
●もう一冊は、今井柏浦『明治一萬句』(博文館、明治39年)。こちらの鳥はカラスに間違いないと思う。右隅に「羽」のサインがあるが、面目ない、こちらのサインも誰のものかわかりません。この時代の画家で「羽」の字を名前の一字に使う人が全く浮かばない。
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●黒田清輝などがアールヌーボー様式を持ち帰ったのが、1900年(明治33年)だから、これ等の本が出た頃、鳥や花がモチーフとしてもてはやされていたのと関連があるだろうと結びつけるのは、さほど強引な結びつけではないようだ。
# by oh-shinju | 2006-05-23 16:55