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これだけの腕があるなら
●田中貢太郎『朱唇』(世界社、昭和23年、写真中央)もやはり山本武夫の装丁だが、新聞連載中の「おせん」に附した雪岱の絵(写真上)によく似ている。具体的にどこが似ているのか? と、問われると、それは構図を決めるアングルや、笠の間からのぞき見るように人物の顔が見えることなど。




わたしは雪岱の絵を、のぞき見の絵だと思っている。それだからこそ躍動感のある自然な動作の被写体?を捕えることが出来たのではないかと思っている。

せっかくの装丁のチャンスを、こんなに雪岱風に描いてしまっては、世間の評価はえられないだろうに。好意的に考えれば、著者や版元から雪岱風の絵を描くようにとの注文を受けていたのかも知れない。


邦枝完二『花井とお梅』(目白書院、昭和24年)も一瞬、雪岱ではないかと思って手に取った。よく見ると顔が今一つ感情が表現されていない、つまり締まりがない。元絵が何なのかは分らないが、これも雪岱風であり、当時、雪岱が人気があったのか、はたまた、邦枝完二が雪岱とのよき時代を忘れられなかったのか。『花井とお梅』の装丁は高澤圭一。
# by oh-shinju | 2006-06-29 16:01
小村雪岱は大好きだが
●泉鏡花『日本橋』(千草閣、大正3年)や、邦枝完二『おせん』(新小説社 、昭9年)、枝完二『お伝情史』(新日本社、昭和11年)などの見事な装丁で知られる小村雪岱は、竹久夢二と並び称される大正・昭和初期の代表的装丁家だ。


 
邦枝完二『色娘おせん』(隆文堂、昭和23年、写真右)ときたら、装丁は当然雪岱だと思うでしょう。しかし、雪岱は昭和15年に亡くなっている。構図も写真下の邦枝完二『おせん』(三及社、昭和21年)とよく似ている。

三及社版の『おせん』も雪岱亡き後の昭和21年発行だが、昭和8年9月〜12月に朝日新聞に連載された時の挿絵を流用しているので、雪岱の挿絵に間違いない。誰が作ったのか、新聞に掲載されたイラストを始めからこのように描いたのではないかと思われるくらい見事にコラージュしている。



よく見ると隆文堂版の「おせん」はどことなくマンガチックである。装画家の名前を探して見ると、山本武夫とある。そうと知ればよく似ているのも首肯ける。山本は、雪岱の唯一の弟子なのである。それにしても節操がない感じがする。こんなことをすると山本の評価が下がる。

田中貢太郎『朱唇』(世界社、昭和23年)もやはり山本武夫の装丁だが、雪岱の絵によく似ている。
# by oh-shinju | 2006-06-29 01:57
東京パックをみつけた
●神保町「古書モール」を覗いて見たら、まだ値付けされていないぼろぼろの雑誌が床に放り出されていた。店主がその場で値段を付けたが「この本はぼろでも価値があるんだよね」と独言なのか、つぶやきなのか「1000円かな」といった。

●表表紙と裏表紙が背のところで切れて、ばらばらだし、全体に汚く、1000円では買う気はしなかったが、2冊のうち1冊だけを購入し、帰宅してから和紙を使って修復した。


●表紙の絵は岡本唐貴(おかもと とうき)
表紙の下の部分には、誤植で、「岡本康貴」となっているのが購入するきっかけになった。岡本は1903-1986 1903年(明治36)、岡山県倉敷に生まれる。1922(大正11)、東京美術学校彫刻科塑像部に入学、翌年中退。1924年(大正13)、前衛集団アクションに参加、三科造形美術協会の結成に参加。1929年(昭和4)、日本プロレタリア美術家同盟(PP)の結成とともに中央委員となる。

●村山知義らとともに大正末から昭和初期にかけて前衛的な美術運動を標榜した画家で、この「東京パック」東京パック社、昭和5年10月)(写真上)の表紙は村山、柳瀬正夢同様に、思想的にもGEORGE GROSZの影響を強く受けているのがわかる。表紙絵の説明には「飢餓の弾丸 見よ世界経済恐慌に度を失ったプチブルヂョアが産業合理化銃から打ち出す大衆飢餓の弾丸!!」とある。

●GEORGE GROSZの作品(写真下)「“泳げる者は泳げ、弱すぎる者は沈め”(シラー)1922」(村山知義『グロッス その時代・人・芸術』(八月書房、1949年12月初版)が直接に影響を与えた絵かどうかはわからないが、考え方といい、絵の構成といい、かなり近いように思える。
# by oh-shinju | 2006-06-17 12:36
ケルムスコットプレス刊本全巻
●ミズノ・プリンティング・ミュージアム見学
ミズノプリテック社長・水野雅生さんの案内で、ケルムスコットプレス完本全巻、42行聖書、百万等陀羅尼などを見せてもらった。
ガラスケースから『チョーサー著作集』『ダヴス聖書』『ダンテ著作集』などを取り出して見せてくれたのには、さすがに体が震えてしまいました。


●写真左は、ダヴス・プレス版『欽定英訳聖書』。写真右は『チョーサー著作集』(いずれもミズノ・プリンティング・ミュージアムにて撮影)。あこがれの恋人に出会ったかのようで、手足はがたがた、頭は真っ白になってしまいました。
# by oh-shinju | 2006-06-05 23:18
装丁楽会だより12-鳥をもチーフにした装丁2点
装丁楽会だより12-鳥をもチーフにした装丁2点

●装丁楽会だより…8に、鳥をモチーフにした装丁は流行っていたのだろうか?という話を描きましたが、わが家の書庫の移動をやっていたら2点ほど出てきたので画像を掲載します。


●尾崎紅葉『草茂美地』(冨山房、明治37年再版)。これはモズの絵だそうです。カラスの絵だだろうと思っていたが、玊睛(きゅうせい)の店長堀口さんから「これはモズの速贄のですよ」と教えられた。その場では「な〜るほど」と首肯いて、帰宅して辞書を引いて見たら、「モズが秋に虫などを捕えて木の枝に貫いておくもの。翌春、他の鳥の餌に供されてしまうとしていう。」(広辞苑)とあった。「垣根にはモズの速贄立ててけり」(散木奇歌集)のように使うらしい。
 
●この絵は一体誰の絵なのかはっきりとモノグラム(サイン)があるが、情けなや、これが読めない。本文中には松洲、半古、清方、米齋、桂舟などが挿絵を寄せているので、この中の誰かではないか、と思って改めて眺めて見たが、わからない。鏑木清方や佐藤松洲、竹内桂舟、梶田半古のサインはすぐに分るので、この中にはいないようだ。これだけの画家が挿絵を描いているのだから、表紙の装画はかなり有名な画家に違いないのだが、残念!わかりません。

●アールヌーボー風の扉の絵も見事だ。この絵には特徴のあるサインが入っているので、佐藤松洲が描いたのはすぐに分ったが、この人のサインはなぜこんな形をしているのかが今だなぞなのである。何をもじったのか、何の略なのか誰か謎を解いてくれませんか。左のバッタの足のところにオレンジ色で○に×印のようなサインがあります。

 
●この本のタイトルも「草茂美地」「草もみぢ」「草紅葉」と頁によって書きかたが違っている。今では考えられないことだが、おおらかでいいなあ、と思う。
 
●もう一冊は、今井柏浦『明治一萬句』(博文館、明治39年)。こちらの鳥はカラスに間違いないと思う。右隅に「羽」のサインがあるが、面目ない、こちらのサインも誰のものかわかりません。この時代の画家で「羽」の字を名前の一字に使う人が全く浮かばない。

●黒田清輝などがアールヌーボー様式を持ち帰ったのが、1900年(明治33年)だから、これ等の本が出た頃、鳥や花がモチーフとしてもてはやされていたのと関連があるだろうと結びつけるのは、さほど強引な結びつけではないようだ。
# by oh-shinju | 2006-05-23 16:55
装丁楽会だより11-津田青楓の装丁『三重吉全集 八の馬鹿』
それまでの、青楓の積もり積もったうっ積した感情が爆発したのであろうが、三重吉と青楓が別れるきっかけになったのは、『八の馬鹿』である。

大正5年4月3日の青楓宛の手紙には「本日、第十一巻の表紙原画拝見。個々の畫は一々面白い、ご苦心もお察するが、全體としてウチワを並べたのは悪趣味であるまいか。圖案の苦心が餘計なところへソレたやうに思ふ。ウチワでなくともよいだらうと思ふ。御再考を願ふわけに行くまいか。あのまゝの畫で結構だから、リンカクのウチワだけよして、他のリンカクの中へ納めてもらいひたいと思ふ。これは兄の畫そのものと私が左右するのとは少しちがふと思ふから、敢えて懇願して見る。」と、前に喧嘩になって、これ以上は口出ししないと言ったのを棚に上げて、また注文をつけている。
 
さらに続けて「その畫を配列する上の趣向を好かんといふのである。中の畫をノケてウチワの配列だけでいふと、中型の浴衣とか、紅葉時代の本の表紙とかいふやうなオツのカランだイヤミがあるとは思はないか。憲法の規定により、絶対に書き直さないとお言ひならぜひもない。泣き泣き本にしてもよいけれど。又一法として、もし君が許すなら、今度の一巻に限り、第畫伯鈴木三重吉氏に裝釘させてくれないか。」と、三重吉の言葉は、容赦なく青楓の感情をさかなでしているかのような嫌みな言葉を突きつけている。残念ながら三重吉に、泣き泣き本にしてもよいといわれた原画は見たことがない。『装丁図案集』 (津田青楓、芸艸堂、昭49年)などに掲載されていれば楽しいのだが、不勉強で、この本も見ていない。

この最後の言葉に青楓の堪忍袋の緒が切れたのであろう。どのような手紙を出したのかは未調査であるが、青楓の怒りの手紙に三重吉が送った手紙には「兄のはがきは全作集についてテイよく私と交渉を斷ったものと認める。アトの二冊も畫いてくれないといふなら、畫いていらない。たゞこれまでの二人の交誼に對して次のことを申し上げておく。『もう僕の畫にも飽きたゞらうから』といふのは何のことか。私はあのうちわの形を好かんから、禮譲を以て兄に相談したのである。君の畫全體に飽きたとだれが言ったか。」と、少々たじろいでいるようでもある。
 
「今日のハガキは書きすぎてゐると思ふ。乞反省。」とあるが、これ以上のつきあいはなくなってしまい、青楓装丁による『三重吉全作集』は第十巻『櫛』(写真下)が最後の装丁になってしまった。そして『八の馬鹿』(写真上)は高野正哉が装丁をした。


この頃のことを青楓は「鈴木三重吉さんの本は小型で全部十三冊でしたが、随分凝ったものでした。第一寒冷紗を使ったのも珍しかったし、蝋をとかして?纈を再現してみたり、あれこれと面白いのが半分で頭を使った。そんなこととは知らない三重吉さんは、これまた別の面での凝り性で、しかも神経質ときてゐるからn何のかのと文句をつけてつっかかってきた。私の凝ってゐる点と彼の希望とは裏腹で、平行線をたどってゐる訳でした。だから売り言葉に買ひ言葉で、いつも喧嘩腰で両方が腹を立ててゐました。」(津田青楓『春秋九十五年』(求龍堂、昭和49年)と、振り返っている。
# by oh-shinju | 2006-05-17 18:38
装丁楽会だより10-津田青楓の装丁『三重吉全集 桑の実』
●装丁楽会だより10-津田青楓の装丁『三重吉全集 桑の実』

●「桑の実」の表紙
『桑の実』の表紙発注のたがみには「あの小説は五月六月頃を背景に使ってあるのだから、植物を図案するならばその頃の植物でないと拙であると思ふ。ホタル草とか苺の花とか、その他の雑草式のものは如何。右は只内容上の注意までに申し上げたのみ。勿論萬事御任意。」とあり、ここまでは著者の親切なアドバイスであるかのようである。



大正4年12月8日付け三重吉から青楓にあてた手紙には、表紙の下絵を見ての感想が書かれているのだが、くどくどと細かくうるさい。その手紙とは「『桑の實』の表紙此間拝見。オレは絶對服従だから津田氏と相談してよきやうに計らつてくれと林に返事した。あの表紙はどうかな。地のあのクスんだ黄色と青貝との調和はどうか知らん。今度の金魚の地色見たいなものならよくうつるがな。葉の色も濁ってゐてわしは好かんよ。一たいに今度の畫はイヤにかちかちしてゐるね。葉の中の黒の點々もわざとらしい。葉の線が固い、實も固いようだ。」と、絶対服従といいながらも色から形から隅から隅までケチをつけている。

●慇懃無礼な三重吉
さらに続けて「以上はたゞ我輩の盲目評で、何の価値もない批評だが、一つ君の不注意は、あの銀の花へ貝を入れるといふ指定だが、あの畫では本に折目がつくから一々花へ貝が這入らないいよ。」と、遜りながらも命令調で、こんなのを慇懃無礼というのだろう。私が青楓だったらその場でこの仕事をキャンセルしてしまうだろう。
 
最後には、「そこで、貝の入らない花はどういう風にするか指定してやらないといけまい。いつか鏡花の表紙に使ったアヤメね、あゝいう模様だったらいいね。」と、暗に書き直しをほのめかしている。

●三重吉のサディズ厶もここまで来るといじょうだ!
再度描きあがってきた絵についても「今度畫いてくれた繪よりか櫛の表紙の方が餘つ程よいと思ふがどうだらう。実は僕の全作中一等よい作だから表紙もよいのにしたい。それで、ゼイタクを並べるやうで相すまないが櫛の表紙を『桑の実』の表紙にしてくれないか。……伊上でなく、大倉半兵衛(黒血の表紙をやった男)に彫らせる。(承諾なら私へ返事はいらない)」と彫師の伊上凡骨までリストラさせてしまう。


さらにじくじくとクレームが続き「イチゴの畫は花も實も葉も一種の輕い快い感じに統一されてゐて面白い。畫としては面白いが表紙としては(殊にこれまでのものと比して)多少間に合わせの感があるね。併し兄があれをよすのが惜しいと思ふならアトの本に使ってもよいと思ふ。」と、しまいには、ダメな絵だがアトの本に使ってやってもいい、といっている。三重吉にとってはどんなにか大切な本であろうとも、なんて惻隠の情の奴だ。他人事ながら腹が立つ。
# by oh-shinju | 2006-05-12 20:46
装丁楽会だより9-津田青楓の装丁『三重吉全集 八の馬鹿』
装丁楽会だより9-津田青楓の装丁『三重吉全集 八の馬鹿』

全13巻のうち3巻『三重吉全集 八の馬鹿』(写真上)、『三重吉全集 小鳥の巣』(上下巻、写真下)は、津田青風の装丁ではなく高野正哉が装丁をやることのなってしまった。写真は『三重吉全集 八の馬鹿』。


●あんなに仲のいい二人だったのに
津田青楓『寅三と三重吉』(萬葉出版社、昭和22年)を読むと、明治45年4月19日から大正5年7月30日までに三重吉から青楓に当てられた手紙53通が公開されている。そしてその時々に感じたことなどが、手紙の後に記されている。ちょうど『三重吉全作集』に取りかかった頃の二人の関係がよくわかり興味深く読んだ。第一巻を装丁した頃は、お互いのその出来映えを讚え、楽しそうに見えた。
 
●生まれ故郷の京都へ引っ越す
大正4年3月26日の三重吉からの手紙に、「もうちやんと落ちついたか。大変不便はところの由。併しノンキでいゝものであらう。羨ましいね」とあり、この頃、青楓は生まれ故郷の京都に引越をしたのがわかる。
 
この手紙には、第2巻『三重吉全作集 赤い鳥』(写真装丁楽会だより7に掲載)の表紙の校正のやり取りがあり「小生は、門外漢ながらあの岩が好かんよ。花と鳥と筆致上の調和がないやうに思ふ。また、あれを、本の實際の大きさに折って見ると、裾の方へ片まつて、ごぢやごぢゃする。岩は裏面へ廻るのだから、裏面は岩がなくとも淋しくはないし、裏面の岩は表面を一所にしての全體を引き立たせるにも役に立つまい。取ったほうがあつさりしやせんか。そこで念のため、Aのやうに草も岩もないのを摺らせてみた。」と、細かい注文を出し、揚げ句の果ては、原画を見視して、岩を取った校正を出している。結果としては前日掲載の写真のように岩の無い装画が使われていた。

仏蘭西に3年間留学し、二科会創立のメンバーでンもある青楓にとっては、けっして快い事ではなかったはずである。

●第四巻『女』(写真-装丁楽会だより8に掲載)の表紙に関しても
大正4年5月4日の青楓宛の手紙には、「第四巻の表紙をその内畫いてくれないか。兄もいろいろ忙しくて氣の毒だが何分たのむ。あの櫻の模様は、白地へでもあの緑がゝつた色でも大變いゝが、どうも櫻といふものが、いろんな古い聯想があるのでオレの小説にソグハないので困る。バカなことをいふとお笑ひかも知れんが、繪としての單獨の価値は私にだってわかるが、表紙として使ふのに一寸困る。純日本式で和裝本の感じがする。あんな具合の模様を白い甲斐絹へ銀でおくと高尚でいゝが、櫻以外の何かにしてくれまいか。……第四巻は『女と赤い鳥』の『女』を巻頭として、『女』といふ本にする。それであの小説だから、表紙畫は西洋くさいものがよい。こってりしたものでもよい。あっさりでもよい。何分返事をまつ」と、表紙絵の描き直しを要請している。
# by oh-shinju | 2006-05-09 15:06
装丁楽会だより8-津田青楓の装丁『三重吉全集 櫛』
装丁楽会だより9-津田青楓の装丁『三重吉全集 櫛』

●鳥をモチーフにした装丁は流行?
津田青風の装丁の中には、モチーフとして鳥がよく使われているが、杉浦非水装丁、小杉天外『七色珊瑚』(写真上)の表紙にもインコが描かれている。調べたわけではないが、この時代の流行でもあったのだろう。

●青楓と三重吉の対立
鈴木三重吉は、かなりの潔癖症であったらしく、共に漱石門下生である内田百閒と神宮外苑を散歩していたときに、「百閒が吸っていたタバコをポイと道路に捨てると、三重吉が顔を赤くして怒り出した。『そりゃ、いかんよ。いけないと思いませんか!』しまいには『拾いなさい』とまで命じる。あまりの剣幕に後輩の百閒はしぶしぶ従った。」(皿木嘉久『大正時代を訪ねてみた』産経新聞社、2002年)というようなことがあったようで、百閒の随筆にこの記載があるようだ。

青楓が『三重吉全作集』の装丁をしたときも、三重吉は細かい注文を出したようだが、青風もしたたかで、「三重吉が『西洋くさいものを』と注文した全作集の第四巻『女』(大正4年7月、写真中央)の表紙画に青楓がアヤメを描いたころから、両者の対立がめだってきた。」(槌田満文「コンビの本8」日本古書通信、平成元年)ようだ。同様の内容が津田青楓『寅彦と三重吉』(萬葉出版社、昭和22年)にも記されているが、むしろこちらが元本のようである。
 
●喧嘩別れ
「三重吉君があまり細かいことをくどくどと文句を云ひ、ぐちをこぼし、よろこんだり悲しんだりして、こちらも七面倒くさくなってきた。画家は自分の仕事に対し誰からも喙を出され度くない、外からいろいろ云われれば仕事の純粋性はなくなる。私は装釘が三重吉君の小説の内容に合ってゐるか、どうかと云ふことよりもさきに、芸術的独創性に富んでゐるかどうかと云ふことが重要だった。だから最後にはどちらも自分勝手をつっ張って喧嘩わかれとなってしまった。」(前掲)と、二人とも自己の主張を譲らなかったようだ。




●青楓装丁の『三重吉全作集』は第十巻『櫛』まで
青楓の装丁第二作となる鈴木三重吉『きりの雨』(春陽堂、大正2年)からはじまった、二人のコンビによる本づくりは『三重吉全作集 第十巻 櫛』(写真下)で終止符を打つことになり、絶交状態になってしまった。

# by oh-shinju | 2006-05-02 20:25
装丁楽会だより8-津田青楓の装丁『三重吉全集 赤い鳥』
津田青楓・装画、伊上凡骨・木版、背字・夏目漱石、『三重吉全集 赤い鳥』’春陽堂、大正4年)

●装丁家を信頼していた漱石はさすがに大物
津田青楓の初めて手がけた装丁は、漱石門下生の森田草平『十字路』(春陽堂、大正元年)。
第2作は、鈴木三重吉『きりの雨』(春陽堂、大正2年)。その後に、夏目漱石『道草』(岩波書店、大正4年)。漱石が津田青楓に装丁を依頼したことについて、金子量重は「漱石はまるで青楓の腕前を試すかのように、草平、三重吉と二人の弟子の本が完成した後に、その著『道草』(大正四年、岩波書店)の装幀を依頼している。」(『銀花』40号)と書いている。青楓は全面に大胆に牡丹の花を配し、インコを2羽描いて、鮮やかで華やかな装丁を試みた。

 
漱石は「『まかした以上相手を信頼する』というのが先生の信条だった」(津田青楓「日本古書通信』1963年)ようで、青楓は「非常に気が楽だった」(前掲)と回想している。

●三重吉とは、装丁をめぐるトラブルが
鈴木三重吉については「三重吉君は中々神経質で私の装幀の図案にいろいろ文句をつけて小言を言ってくる、こっちの凝つてゐる所は全然わからなくて文句をいうふのだから、こつちもしまいには腹を立てゝ喧嘩になつたこともあつた。尤もこつちは小説の内容なんか全然読まないのだ、挿画なら内容を知らなければかけないが、装幀なんかそんあ内容にかまはずやつてしまつた。しかし三重吉君にすれば多少でも内容気分が現はれてゐるものにしてほしい希望があったかも知れない。何しろ当時私は非常に忙しく、装幀なんかは内職稼ぎのつもりでやつてゐたのだから余りあれこれ文句をつけられると、こつちも云い度いことを云いたくなる。」と、三重吉と青楓の間には多少のいざこざがあったようだ。

●鳥をモチーフにしているのは? 
『三重吉全作集』の装丁者が13冊のうち10冊だけが青楓の装丁であるのは、途中でトラブルがあったのかも知れない。写真下『赤い鳥』にも『道草』にも鳥が描かれているのは興味深い。生家が「去風流」生け花を代々教える西川家であることから、花の絵が多いのは首肯けるが、アールヌーボーの画家たちが好んで雉を描いたが、そんな影響があったのだろうか。
 


*「退屈男」さん、いつもコメント、ご指導ありがとう。助かりました。お蔭で「蔵書票楽会」「造本探検隊」にリンクを張ることが出来ました。
# by oh-shinju | 2006-05-01 19:22
装丁楽会だより7-津田清楓の装丁『三重吉全集』
●鈴木三重吉についておさらいすると、1882年〜1936年広島市生まれ。 京都の第三高等学校を経て東京帝国大学英文科に進む。在学中の1905(明治38)年、神経衰弱と胃病に苦しめられ、療養のため瀬戸内の能美島を訪た。そこでの体験をもとに短編小説『千鳥』を書き上げる。
 
師と仰ぐ夏目漱石の推薦で、小説「千鳥」が高浜虚子の1906(明治39)年「ホトトギス」五月号に掲載され、これが小説家としてのデビュー作となる。「千鳥は傑作である。かういふ風にかいたものは普通の小説家に到底望めない」と夏目漱石は激励した。

中学教師を務める傍ら山県郡加計町を舞台とした『山彦』など数々の小説を執筆し、漱石門下生として活躍を続け小説家としての評価をあげたが、行き詰まりを感じ1915年以降小説の筆を折る。

三重吉は全財産を投じて『三重吉全作集』の制作をするが、思うに任せず多大な負債を抱えることになる。その穴を埋めるために1917(大正6)年『湖水の女』から始まる全20巻を出版する。『世界童話集』を刊行したことが、「赤い鳥」創刊への足がかりとなったと三重吉は言う(『現代日本文学全集(33)』1928)。


●写真上は清水良雄装丁、鈴木三重吉編『馬鹿の小猿』(『世界童話集第十篇、春陽堂、大正14年6月15版)。この本はよく売れたようで、初版発行が大正7年5月だから、毎年2回ほどづつ増刷を繰り返した勘定になる。

 1916年、長女すずのために童話を書き始めたのをきっかけに、同年の童話集「湖水の女」ほか次々に子どものための作品を発表。児童文学に自らの進むべき道を見いだし1918(大正7)年には森鴎外(1862-1922)らの賛同を得て、当時を代表する作家を執筆陣にそろえた画期的な童話・童謡誌「赤い鳥」を創刊、日本における児童の情操教育に多大な影響を与える。1936(昭和11)年、三重吉54歳での死去とともに「赤い鳥」も終刊。

●写真下は、鈴木三重吉  『女』(三重吉全作集第四巻、春陽堂、大正6年10月第三版)
装画・津田清楓、背字・夏目漱石、木版・伊上凡骨。

# by oh-shinju | 2006-04-25 17:36
装丁楽会だより6-津田清楓の装丁『三重吉全集』
●もう一つの津田清楓の名作
「別冊太陽 本の美」(平凡社、1986年)に掲載されているからといって、いつまでも『明暗』と『道草』だけが津田清楓の代表的装丁といっていないで、ぜひこの本も清楓の代表作として認知して欲しい。

そこで紹介するのが、知る人ぞ知る津田清楓装丁、鈴木三重吉『三重吉全集第七編 黒血』(春陽堂、大正4年初版)。全13巻あるうちの1冊。文庫判上製本で小さいながらも小粋で、つい手に取りたくなる可愛いい本である。大胆な構成と図案家された青い百合の花がモダンな感じを出していてる。背字・夏目漱石、木版・大倉半兵衛。


●もう一冊
津田清楓装丁、鈴木三重吉『三重吉全集第一編 瓦』(春陽堂、大正4年初版)。「今ではもう……」布装本も少なくなってきてしまいましたが、この頃は布装に装画が印刷されていました。ただそれだけでも嬉しい。
 


「今ではもう……」検印紙は、殆ど見られなくなってしまいましたが、かつて著者は発行される書籍の奥付に押印した検印紙を貼り、発行部数を証明する慣行がありました。この検印に基づく支払方法が印紙税に似ているために「印税」という言葉が使われました。この本の奥付には検印紙の代わりに「三重吉」という丸印が押してあるが、この判子さえも見られなくなってしまった。。
# by oh-shinju | 2006-04-17 15:44
装丁楽会だより5-津田清楓の装丁『明暗』
●津田清楓の装丁
津田清楓といえば、夏目漱石『明暗』(岩波書店、大正6年初版)の装丁家としてよく知られているが、この他にも夏目漱石『道草』(岩波書店、大正4年)など100冊を越える見事な装丁を残している。本名は亀二郎。清楓の号は「やがて赤く染まる青い楓に将来の可能性を託して兄が付けてくれたもの、という。




清楓の装丁は、自らが「私の仕事は一般読書子の目を引きつけるやうに華やかになっていった。今見るとそれが却っていゝ結果になったやうで、小売店の本棚にあっても著者の誰れ彼を認識させる前に先ず本の装幀で客に呼びかけた。」(『本の本』ボナンザ、昭和51年)といっているように、店頭効果を先ず考えていたようだ。
 
私も装丁は、客の呼び込みという役目を担っていると思っている。「ねえねえ、どうですかこの本、ちょっと手に取って読んでみませんか?」という具合に。隣の本も負けずに「さあさあここに取りい出しましたこの本。遠からんものは耳にも聴け、近からばよって目にも見よ〜」と、耳を澄ませば、賑やかな呼び込み合戦が聞こえてくるはずだ。

●これも清楓の装丁?
窪川稲子『牡丹のある家』(中央公論社、昭和9年)は、古書市で、装丁がモダンな感じだったので、なにげなく手にした本だが、装丁家名を見て驚いた。あの日本画風な漱石の『明暗』を装丁した津田清楓の手になる装丁ではないか。私の清楓に対する思い入れが間違っていたのか、『明暗』もよく見ると王冠をかぶっているし、着衣も洋風だ。



●二科会の創設にも
清楓は、二科会の創設に深く関わり、プロレタリア美術に接近し、良寛書に親炙(しんしゃ)して文人画風の日本画を描き、また、図案家、文章家としても活躍し幅広い闊達な世界を摸索した教養人的な面を持ったモダニストでもあったようだ。
そうとわかれば、この『牡丹のある家』の装丁も納得だ。清楓の思考の柔軟さと幅広い活躍をかいま見ることが出来る装丁でもある。
# by oh-shinju | 2006-04-14 14:56
装丁楽会だより4-続・花森安治の最初の装丁は?
●これが花森安治の初めての装丁か?
以前、中山富久『放列』(育英書院、昭和18年)を、花森の装丁で署名が確認できる初期のものであろうと書いたら、林哲夫さんから「もっと古い『歴史日本』(雄山閣、昭和17年)があります」との連絡をいただいた。雑誌の装丁のほうが古いとは予想していなかったな。連絡をいただいたその週末の古書市で、たまたま私も『歴史日本』を入手することが出来た。林さんのコメントはいつも鋭いです。
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今のところ私が知る限りでは、この2冊が、単行本と雑誌の装丁で、それぞれ最も古い花森の手になる装丁である。
 
●最近見つけた花森の自著自装本
2冊共に、絵具のパレットをイメージさせる装丁である。自分の本を装丁するのだからよほど考えた末の装丁なのだろう。編集ではかなりシビアな面を見せる花森も、装丁を見る限りではなんともほのぼのとして暖かい。左は、花森安治『暮しの眼鏡』(創元社、昭和28年8月初版)。前扉の文字を初号活字で、出版社名、著者名、タイトルを行末揃えで組んでいるアイディアは目を引く。本文中の見出しを2行にしているのも斬新である。

 
右は花森安治『服飾の読本』(昭和25年9月5版)。この本も本文中の見出しを2行にしている。花森の『暮しの手帖』流こだわりだったのだろう。これらの表紙は、茨城県笠間市にある美術館で、多くの画家のパレットを集めて展示しているのを彷彿とさせる。
# by oh-shinju | 2006-04-12 14:43
装丁楽会だより3-花森安治の装丁
●花森安治と『暮しの手帖』展
4月9日、日曜日だというのに朝6時起きして『紙魚の手帳』38号掲載用の「消しゴム版画で蔵書票を作る」の原稿作りをした。
午後からは、世田谷文学館の「花森安治と『暮しの手帖』展」最終日を見に出かけた。
 
狭いスペースにぎっしりと詰まっていて、密度のある展示だった。つかの間だが1940-70年代へのタイムスリップを楽しむことが出来た。
 でもちょっとクレームです。雑誌や単行本は、床上1.5メートル位のところから天井まで展示されていたが、最上部の3段分くらいは、見づらいのでそっくり一番下のたっぷり空いているスペースに展示してほしかった。

単行本は架蔵書と半分以上は、ダブっていたが、初めて目にする本も多く、花森の装丁した作品の多さと、カバーした領域の広さに圧倒された。会場には、花森が編集長時代のころのファンと思われる人達もたくさん訪れて大盛況で、図録が完売して入手できなかったほど。



写真は『世界ユーモア文学全集10』(昭和36年9月)。確認したわけではないが、この本は展示されていなかったように記憶している。ちょっと、自慢モードかな? 花森特有の怪獣のような人物の装画がいいし、構図と余白がきれいだ。入り口と出口の関係を造本に絡めたアイディアも冴えている。
 「暮しの手帖」は1948年(昭和23年)9月20日に創刊したので「暮しの手帖」創刊13年目の花森の装丁作品だ。

「『暮しの手帖』はいかにも雑誌らしくないが、編集技術も垢抜けのしたもので、出版界が余り気にもとめていない内に、ぐんぐん伸びていって最近は七十五万部に達してという躍進ぶりである」(小川菊松『出版の面白さむずかしさ』誠文堂新光社、昭和34年)というように、花森が最も勢いのあった時期の装丁作品といえるだろう。花森は1978(昭和53)年1月14日に66歳で無くなっているので、49歳の時の装丁でもある。

展覧会を観た後、井の頭線で吉祥寺に移動。夕食を早めにとって6時30分から始まる映画『プロデューサーズ』を鑑賞。文句なしに楽しめるミュージカルだった。
# by oh-shinju | 2006-04-11 16:34
装丁楽会だより2 櫻井書店と装丁
●櫻井書店の最後の出版物
瀧井孝作装丁、志賀直哉『夕陽』(櫻井書店、昭和35年9月初版)は、戦後、櫻井書店が新たに文学書出版をしようと始めたが、4点を出しただけで終ってしまった、その最後の出版物である。
 
その第1冊目である、瀧井孝作自著自装の『生のまま素のまま』(櫻井書店、昭和34年)で採用したのと同様に瓦当の拓本がここにも使われている。瀧井は第2作目となる『海ほほづき』も自ら装丁し、やはりこの本でも瓦当の拓本を用いている。
 
『夕陽』に使われているのは拓本については、「漢の瓦当の拓本の『都司空瓦』と『朱鳥模様』とを、『夕陽』にふさわしいので用ひたいと思ふ。この漢の瓦当は、僕の近所の八王子の井上郷太郎氏の蒐集から採った。」(瀧井孝作「編集覚書」ー『夕陽』)とあり、瀧井が探し出したものだ。
 


この判型はフルース角判というらしいが、志賀は「ポケットに入るやうな小型の軽い簡単なものがよい」と希望したようだが、櫻井が、「新書判では、値段のつけやうに困る、志賀さんの本だからやはり立派な本にしたい。それと頁数も多くなつたが、かういふものもこんど一まとめにしておいた方がよいから、このまま一冊にして出したい」と言って、この判型が採用されたようだ。

この大型本でも408頁もあるのを、どうやって新書判に収めようとしたのか。組版についても瀧井は「随筆は段ヌキに組み、談話・放送録音・座談会は二段組」と提案したようだが、櫻井は、「それは、雑誌のやうに見えるから、これは全部同じ活字の組み方にしたい」と、主張櫻井案が採用されている。
 
組版や装丁に関してのやり取りにかんしての記録は少ないので、貴重な話である。編集を担当した瀧井の内容を重視した発言と、発売元の櫻井の商品としての見え方を重要視する、立場の違いからくる主張のぶつかり合いが、何とも面白い。

●豆本と蔵書票の話は「蔵書票楽会」
http://blogs.yahoo.co.jp/higetotyonmage/
をご覧下さい。
# by oh-shinju | 2006-04-07 13:25
装丁楽会だより1
本日、「装丁楽会」を新たに立ち上げました。よろしくお願いしま〜す。
「大貫伸樹の造本探検隊」が、写真の掲載キャパシティをオーバーしてしまい、大きな写真を掲載できなくなってしまいましたので、この「装丁楽会」と合流させました。

蔵書票楽会だより26(テスト用に作ったもので「蔵書票楽会」http://blogs.yahoo.co.jp/higetotyonmage/だよりのコピーです)

田中淑恵さんに感化され、早速、『蔵書票集』豆本作りを始めた。

●何とかなるさ
今まで作ってきた消しゴム版画蔵書票19枚をスキャンニングして5×4cmくらいの経本折り豆本に仕立てることにした。丁度、加藤豊さんが惚れ込んでいるマッチ箱とほぼ同じ大きさだ。
経本折りとは文字通りお経のように長く繋がっている製本のこと。アコーデオンの蛇腹のような本のことで蛇腹折りなどともいう。な〜んて、もっともらしいことをいっているが、作るのは初めての体験でどうやるのかも全くわからない。全く手探り状態での挑戦です。



●スキャンニングして、面付けをする 
昨夜は、スキャナーで取り合えず蔵書票を取り込んで、A4サイズの紙に面付け(頁順に並べる)出来るサイズを割り出す。ヨコに7面とり、タテには3段とると、21頁とれる。初めの1頁は挨拶文が入るので、20頁が残るはずである。ところが、ちょっとした落とし穴があった。

●つなぎの部分は谷折で
早速プリントアウトして、切り抜いて組み立ててみたら、糊代が手前にきて、おまけにつないだところが目立ってカッコ悪い。そこで、つなぎを谷折の部分でやってみると、糊代は背面にまわるし、繋ぎ部分は折り目と見分けがつかなくなりキレイに繋がることがわかった。

●再度面付けからやり直し
スペースのつごうで、2段目は谷折で終わりにしなければならないので、1頁削って6ページしか取れなかった。そんなこんなで、つごう19点の蔵書票をレイアウトできることになった。

●ヘラで折り線を入れる
プリントアウトした紙を切る前に、折り線を入れる。折り線は象牙のヘラなどを使うと紙が痛まずにしっかりとスジを付けることが出来る。つなぎの部分には7ミリほどの糊代も忘れないで付けること。

●切り出して、糊でつなぎ合わせる
プリントアウトした1枚の紙から、切り出すと、3枚の蛇腹のような折丁? ができる。これを糊(木工ボンド)でつなぎ合わせる。
糊が余分なところに付かないように、平筆を使い、当て紙をして糊をつけるとよい。糊付けしたら、重しを乗せて2〜3分待つ。一度開けてみて余分なところまで糊がはみ出していないかを確認する。はみ出した糊をふき取り、再度圧力をかけて、1時間ほど放置する。

●写真上は、面付けしてプリントした紙と、切り出して、折り目を付けた折丁。写真下は3枚をつなぎ合わせたところ。
使用した紙は、OKフェザーワルツ、90kg、しんじゅ。私の名前と同じ名前の色があるとはおどろき! 
# by oh-shinju | 2006-04-06 15:12
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