●田中貢太郎『朱唇』(世界社、昭和23年、写真中央)もやはり山本武夫の装丁だが、新聞連載中の「おせん」に附した雪岱の絵(写真上)によく似ている。具体的にどこが似ているのか? と、問われると、それは構図を決めるアングルや、笠の間からのぞき見るように人物の顔が見えることなど。
わたしは雪岱の絵を、のぞき見の絵だと思っている。それだからこそ躍動感のある自然な動作の被写体?を捕えることが出来たのではないかと思っている。
せっかくの装丁のチャンスを、こんなに雪岱風に描いてしまっては、世間の評価はえられないだろうに。好意的に考えれば、著者や版元から雪岱風の絵を描くようにとの注文を受けていたのかも知れない。
邦枝完二『花井とお梅』(目白書院、昭和24年)も一瞬、雪岱ではないかと思って手に取った。よく見ると顔が今一つ感情が表現されていない、つまり締まりがない。元絵が何なのかは分らないが、これも雪岱風であり、当時、雪岱が人気があったのか、はたまた、邦枝完二が雪岱とのよき時代を忘れられなかったのか。『花井とお梅』の装丁は高澤圭一。
わたしは雪岱の絵を、のぞき見の絵だと思っている。それだからこそ躍動感のある自然な動作の被写体?を捕えることが出来たのではないかと思っている。
せっかくの装丁のチャンスを、こんなに雪岱風に描いてしまっては、世間の評価はえられないだろうに。好意的に考えれば、著者や版元から雪岱風の絵を描くようにとの注文を受けていたのかも知れない。
邦枝完二『花井とお梅』(目白書院、昭和24年)も一瞬、雪岱ではないかと思って手に取った。よく見ると顔が今一つ感情が表現されていない、つまり締まりがない。元絵が何なのかは分らないが、これも雪岱風であり、当時、雪岱が人気があったのか、はたまた、邦枝完二が雪岱とのよき時代を忘れられなかったのか。『花井とお梅』の装丁は高澤圭一。
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by oh-shinju
| 2006-06-29 16:01